『枯木梟図』 徳川家光

家光は狩野探幽に絵を習ったと伝えられるそうですが、 作品は狩野派とは似ても似つかぬ児画ギリギリのマンガチックな梟の絵。 フクロウの右半身(画の左側)にだけ斑点が入っていて左半身に入ってないのは、 途中で描くのが面倒くさくなったからですかね?