いつ死んでも(・∀・)イイ!は悪くない
その、例えばサラリーマンがオヤジが格好良く思えるようになった
エグザイルの人は
精神的に一度死んでいますよね
失恋したらそれは恋愛的に一度死んだと言えると思いません?
ですので、東大ね入るの難しいのは
現役で浪人して入ろうとするから難しいからで
これが何年使ってもよければ難しくもないと
まぁ、その通りであるとは思えないんですけど
数年やって入れなければ何年やっても入れないかと
- いつ死んでもオッケー!オッケー!みたいなのは
人生に悔いが無いからですかね
その、やりたい事やっているからいつ死んでも良いと
考える事も出来ると思いません?
- それが例えば
十年間がむしゃらに働いて
会社を辞めて世界旅行に出かけるとか
そういうプランだと
働いているうちは死ねないよね
- ですので、人としてのポリシーを何に置いているかにも寄ると思うんですけど
俺が働いたら
それは俺の中で何かが壊れると思う
- そう言う意味で糸井さんなんかはリスペクトできる
そのああいうお年寄りに?wなりたいと心底願えますねぇ
- だから、あぁ、30になったら
オヤジが格好良く思えてしまう
いつ死んでも良いと思えなくなってしまうと思うと
そうなるのが恐く感じられる
- 例えば?今のような生活が
親が死んだらあぼーんだとしたら
親が死ぬのがとても恐く感じられるはずだよ!(俺は感じないけど)
親が死んでとてもやっていけそうにない酷い状態なら
親も自分らが死ぬ前に手をうつだろうがな(名古屋の恐いおばちゃんとか呼ぶんだろう)
- ただ、親がいつ死ぬか解らないけど
数年俺がだよ
こうしてブログを書きまくったり漫画を描きまくり続けたら
40になって60になって
食えてる可能性の方が高くないか?<なにがしかで
あるいはニートで
まぁ、ニートは34までなんだけど
- あるいは金儲けね種本だって
こう、働かないで済むように
”上手い話アンテナ”張り巡らせている訳だから
- ファッション誌に関しては読むとカッコイイの?
っていうか、爆笑問題の太田さんも言ってたけど
競馬やらない俺は走る側だ
走っている方が面白いって
ファッション誌とかも俺は自分が作る側でいたいんだよね
何でもそう
アニメも漫画もラノベも
何でもそっち側にいたい
ファッション誌もそう読者じゃなくて
ライターになりたい訳よ
そこら辺誤解があるというか
テレビもそうだよね
見るより自分が映ってた方が(・∀・)イイ!なって思う