ムシメさんがガチで死んじゃったようなので

彼が生前というか去年の年末
ブログに掲載して削除した遺書をここに載っけておくよ
彼が自殺した時に残したモノホンの遺書じゃないよ?
でも、同じ人間だから似たような事が書いてあったと思うんだ

いま家に着きました。


ひたすら、放心しています・・・・・・・・・・・



でも、久々に家族やねずみちゃんに会えて、ちょっとだけほっとしている



この2週間は、本当に言葉にすることのできない、繰り返し襲われる
様々な悪夢との戦いでした。

仕事机に向かうたびに、焦燥感、恐怖感、無力感、脱力感、倦怠感、疲労感・・・


様々な苦しみが、繰り返し打ち付けられる波のように訪れ
涙で原稿を濡らしそうになったのは、数えきれないばかりです。

トイレに行って泣こうにも、その回数すらカウントされ、咎められ
睡眠の時間が訪れても、悪夢にうなされました。

外出も制限され、自由時間にすらその自由など存在しない生活でした。


唯一の楽しみは、仕事中に繰り返し流されるテレビ番組の音声のみを
聞くことくらい・・・・・・・・・・・


けれど、流れてくるのは世紀末のニュース、暗い、悲しい話題ばかり


たまにやってくる編集部の人は、先生の前ではヘラヘラしておべっか使って
持ち上げて、他の先生の悪口は好きたい放題言っている。

ほかの先生んとこではその逆をしているんだろう。

また違う日に来た編集は、アンケートの結果が悪い、4位で安泰だと思うなと
作業している横で、挨拶もせずに来て罵倒して、そのまま帰っていった。

人間として、最低の連中だと、思ってショックうけた。


もう疲れてしまいました。


たくさんの苦痛に耐えていく先の未来に、明るいきざしや光が
全く見えなくなってしまった。

自分の描いていた未来や、あこがれがちぎれるのを見た。


このまま生きていても、待ち受けているのはこのままと変わらない
苦痛の連続の毎日だということは、簡単に想像が付きます。


こんな毎日が、これから先、無限に続くのかとおもったら
いっそ何度も死んでしまおうとして、さすがに硫イヒ水素は持って行けなかったから
色帯だけ常にバッグに忍ばせ手放せなかったのですが、買い物に入った先のトイレでさえ
衣装を引っ掛けるフックが付いていないと

「これじゃ首が吊れない!!どうしよう!!」

とパニックになり、涙ながらに公園のベンチで顔を伏せて泣きまくるという
そういう生活が続きました。


けれど、そんな状況にまで追い込まれても、自分にはそんな心境や近況を
語れるのは、ここのブログくらいのもので、じっさいに頼れる、相談できる
知人や親戚、友達・・・そういう人が本当にいない現実に、驚いた。


22年の人生のなかで、いかに自分が、表面だけでの付き合い・・・・・


人に嫌われたくない思いが故、おどけピエロに徹して・・・
笑われて、いいように使われて、それで好かれたつもり・・・・


本当の人間関係を築いてこれていなかった現実にただ愕然としてしまいました。


あとはただ、孤独感との戦いだけでした。


仕事先、アシスタントの同僚の人達の輪に入ろうとしても
談笑している先にふと自分が現れただけで
「うわ!びっくりした!」

と言って、会話が止まってしまうという始末・・・・・・・

気まずくなって、すごすごとベッドにもどって、また泣くだけの夜明け前


仕事が出来なくって、怒られないのはパソコンでの作業くらい。

それですら、定格通りの画面に仕上がっていなくって、仕事終わってから
わざわざ、先輩アシスタントに因縁をつけられる。

挙句には、廊下をあるく足音や、椅子への座り方にまで文句を言われる始末・・・

ちなみに、その先輩には、自分は名前で呼んでもらったことは一度もない
(たいていは”オイ”か自分に似ている芸人の名前とかで呼び捨てられる)


(なんで自分はこんなとこに来てしまったんだろう・・・)


そういう自問自答を、何度繰り返したかわかりません。


でも思えば、そんなことは今に始まったことではなく
前のバイト、そのまた前のバイト・・・・その更に前


学校生活でも、自分は同じような生活を送っていた気がします。



ようするに、人間として根本的な部分からして欠陥品。
欠陥まみれのポンコツ暴走列車

それが自分の歩んできた人生であり、人間そのものなんだと思う。


だから、自分は自分をもうリコールさせてやんないと
この苦しみからは決して逃れられないと悟りました。


こんなこと、もっと早く気付くべきだったんだよね。
けど、いつか先にはこんな自分なりの明るい未来が待っていると思って
バカに期待してしまった。


待ち受けてるのはひたすら厳しい現実、暗黒の日々。



もちろん、理由はこんだけじゃないんです・・・・・・
アシスタントでは、良くしていただいた事だってあるわけだし
厳しいのは、その先輩なりの愛情表現かもしれないという思いで
これが原因になることは、到底ありえません。


でも、それ以外の部分・・・・・・・


家庭の経済のこととか、病気のこととかが色々かんぜんに切羽詰まってきて
小手先の乗り切る手立てでは、どうしようもないとこまで来てしまいました。


頑張ったけれど、もうどうしようもない事態というのは
避けられないっていうのを、見せつけられているんじゃないかと思ったりします。


けれど逆の発想でいけば「もういいじゃないか」という、今いろいろな状況が
うまいぐあいに絡まって、臨海地点に達してなんかそういう環境を神様は
つくってくれたのかも知れません。


だからもう、自分は自分を、自分で楽にしてあげることにしました。


これからお正月のちょっと先まで、休みはあります。


その期間に、目一杯やらんいけないことの最低限をやろうと思っている。



恐れていた現実、それが目の前に迫ってきてしまっているんだけれども
不思議と恐怖感は無くって(あぁ、やっと終わるのかなぁ)という安心感に包まれている。


こんなことまた言ったりして、いつもの死ぬ死ぬ詐欺だと思われのことだと思います。


仕事先では、お返事が出来なかったことでこころ苦しいのですが
沢山の励ましのコメントも頂いて、何度も頑張ろうと思っていたことだったり
見ず知らずの自分を支えていただけてること、本当にこれが自分にとっての
唯一の財産になっていること、言うまでもありません。


もっとハッキリ言っちゃえば、死ぬのとめていただいて本当にありがとうございます。
自分は、友人を中学の卒業式前日に亡くした(自殺)経験があるので、人一倍なりに
それは理解しているつもりです。


でももう、最後のカードを切る時が来てしまったように感じます。

そうするしかないのです、そうなったほうが100%良いのです。


今回ばかりは、もうだめだと思うし、そうしなくっては、ならないと思うのです。
だから、ご丁寧な心配のメールや連絡下さったりはしないで頂けると有り難いです。

こんなこと言っていても、究極のダメ人間のことですから
おどけてふざけて、血迷う可能性だってあるのですから。


最後のご挨拶はまた改めてさせていただきとうございますが
今年いっぱい、そして、新年の少しの間まで、みなさんと明るく楽しく
残された最後の時間を楽しみたいと思っています。

それまでは、これまでの思い出を振り返ったり
色々なイベント、テレビを楽しんだりして、いつもどおり
元気いっぱい、毎日を楽しんでブログ続けていきたいと思う。

究極の最底辺、蛆虫の、その末路を生暖かく見守ってみてください。

どうかよろしくおねがいいたします。
本当に、いつもいつも、感謝しています。ありがとうございます。